山に夕陽が落ちる頃になると
童謡「ふるさと」の
メロディが聞こえて来る。
♪うさぎ追いしかの山
♪小鮒釣りしかの川。。。
午後5時の報せである。
発信元は小学校校庭の
トランペットスピーカーだ。
子供たちはこのメロディを
聴いて家路へと急ぐ。
旧大阪市庁舎では夜10時になると
「みおつくしの鐘」が鳴る。
この鐘は昭和30年に
大阪市地域婦人団体協議会の
会員15万人が子を思う母の心として
製作しその後大阪市に寄付された。
「子供達よ、早く家にお帰り」
母が子を思う鐘の音である。
小学校から流れる童謡「ふるさと」、
親や地域の大人の子供を思う心が
メロディに込められている。
毎日、メロディを聴いていると
それが故郷のメロディとして
子供たちの心に定着するだろう。
やがて大人になり就職して
大都会に移り住んでも
このメロディを聴くたびに
生まれ育った故郷を思い出す。
小学校の校庭から流れるメロディが
子供たちの郷土愛を育んでいる。
私はそんな思いで聴いている。
そして故郷を想う詩人の
句を思い出す。
「何時になり何歳にならば
忘れえむ
今日もおもひぬ故郷のこと」
ーーー 石川啄木 ---
「ふるさとの訛りなつかし停車場の
人ごみの中にそを聴きにゆく」
ーーー 石川啄木 ---
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
ーーー 室生犀星 ーーー
ふるさとへの思いというものは
何歳になっても変わることはない。
私は長いこと大阪に出ていたが
辛い時、悲しい時は六甲山系の
山並みを見てその遙か向うの
故郷を想い、涙に呉れていた。
また、
故郷を走っている神姫バスを
大阪で見ることは稀だった。
神姫バスを見る度に
故郷がダブって見えた。
室生犀星の詩句からも
私と同質の想いが伝わって来る。
ところで
テレビニュースによると
文科省が道徳教育を
一つの教科として捉え
今後は児童生徒一人一人に対し
評価を導入すると言っている。
数値的な評価ではなく、
文章表記にするそうだが
いずれにしても
私はナンセンスなことだと思う。
子供の道徳的な内面を一人の先生が
推し量ることは無理があるだろう。
そんなことを押し付けられたら
現場の先生はきっと困ってしまう。
それよりも政治家の
政治倫理はどうなんだ。
政治資金規正法や政務活動費の
不適正な使い方が後を絶たない。
兵庫県でも政務活動費の
不適正な使い方が問題になった。
政活費の報告書を精査すると
なんと20人もの議員に不適正な
使用があったと新聞は報じていた。
そもそも政務活動費の
前払いに問題がある。
本来は経費支出請求を経て
支出が妥当なものに限り
支払われるものである筈だ。
私的な生活費の一部に
税金が使われることに
非常に腹立たしい思いがする。
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