山里の暮らし

山里で畑を耕し、庭づくりに励み、カメラを手に四季の移ろいを追い
ガーデン庭小屋やパーゴラ作りのガーデン木工を趣味として気ままに
山里の暮らしを愉しんでいる日々の生活日記。

2014年08月

2014_08_20-1
盛夏の頃というもの、人も植物も
暑さのストレスで元気がない。
ただ、亜熱帯地方の花と昆虫は別だ。
ハイビスカスも亜熱帯地方の花で
沖縄では1年中咲いているそうだ。
わが家のハイビスカスも園芸店で買うと
すぐにプラ鉢から抜いて
大きめの素焼き鉢に植え替えた。
漸く活着したようで頗る元気がいい。
次々に蕾を挙げはじめている。
2014_08_20-2
大きな花なので一輪咲いただけでも
十分に存在感を発揮する頼もしさもある。
シベは花弁よりも長く突出して
なんだかグロテスクに感じてしまう。
2014_08_20-3
そのシベをマクロレンズで捉えると
繊毛が生えて食虫植物のイメージを感じる。
長く突出したシベの先に2種類の
何者かあるのは興味深いではないか。
ネットで調べてみると黄色いのは雄シベ、
5個の丸いものは雌シベだそうだ。
雌シベは何故5本なのか?花弁の数も5枚だ。
解らないことだらけになってしまった。

2014_08_19-1
海辺の町で夕日が落ちる風景と云えば
島根県の宍道湖あたりが有名なロケ地である。
他にも日本海に落ちる夕日は有名で、
トワイライトエクスプレスの旅は
日本海に落ちる夕日を列車から
眺めるのが売りになっている。

2014_08_19-2
でも身近な環境でもカメラを片手に
探せばいくらでもあるものだ。
写真に撮ると肉眼で見ている時には
気づかないような美しさを
感じることが多々ある。
それは写真にラチチュードという
再現できる範囲があるからである。

2014_08_19-3
光の当たっている部分と影の部分を
ラチチュードの特性を使って撮れば
影の部分を黒く省略できるから
まるで暗闇の中から浮き出たような
写真に表現することも可能である。

ラチチュードとは
明暗を表現出来る範囲のことで
肉眼に比べて範囲が狭くなる分、
日陰なら黒く写るというわけだ。
2014_08_19-4
そんな写真を撮りたいときは
私はけっしてカメラ任せのオートで
撮影しないことにしている。

2014_08_19-5
例えば絞り優先(A)や
シャッター優先(S)に、
また、プログラム撮影モードで
絞りを決める撮影方法を採用する。

2014_08_19-6
そして撮影の時間帯は光が斜めから
射しこむ夕方で山に落ちる30分前からが
絶好のシャッターチャンスだと思っている。

2014_08_19-7
そしてけっして順光では撮らず、
逆光ないしは横から射す光を利用する。

2014_08_19-8
今日はそんな時間帯に斜めや逆光で
光が入る時間帯の写真を集めてみた。
偉そうなことを言える写真ではないが
下手くそながら自己満足できる範囲で
いい写真だと思ったものだけを集めた。

2014_08_18-1
わが地方、兵庫県は台風11号以来、
雨や曇りの日がつづいて
庭は草が伸び放題の状態に、、、
田舎なので敷地のまわりは田圃や畑、
飛んで来るタネ、靴に付いたタネ、
それらが庭に入って雑草が生える。
そして宅地はもともと田圃だったので
生える雑草もヒエ、クローバーなど
田圃であった頃の雑草も多く見られる。
外回りは刈払い機で草刈りをするが
庭は草花もあるので手で除草する。

2014_08_18-2
曇り空の時を見計らって除草をした東側、
梅雨のようなこの頃だから地面も湿って鬱陶しい。

2014_08_18-3
砕石を敷いたデッキ前にも草が侵入する。
砕石を敷いているので草は簡単に抜ける。

2014_08_18-4
敷地入口の花壇は妻が除草してくれた。

2014_08_18-5
パーゴラは台風対策の支えパイプが
撤去されずまだそのままになっている。
暑い夏は庭づくりも出来ないので
4トントラックで入れて貰った真砂土は
使われずに半分以上が残っている。
コニファーのまわりは雑草が生い茂る。
今日はこのエリアを除草することにした。

2014_08_18-6
除草をするだけではすっきりしないほど荒れている。
コニファーも剪定をしなければと気持ちが焦る。

2014_08_18-7
蚊取り線香を2巻まわりにおいて除草作業を始めた。
雨つづきで地面が緩んでいるので簡単に草は引ける。

2014_08_18-8
雑草の種類は田圃でよく見かける草だ。
周囲からタネが飛んで来たのだろう。
年毎に草の種類も増えていくようだ。

2014_08_18-9
除草をしていると周囲が暗くなって来た。
今日の除草成果を撮ろうとした時刻は
6時半を少し過ぎた頃だったので暗くて
シャッターが遅くカメラぶれをしてしまった。
今日はこの辺までと作業は終わったが
除草作業は明日も明後日もとまだまだ続く。

2014_08_16-1
今日は69年目の終戦記念日である
私は戦後の世代なので戦争の悲惨さを
目の当たりに体験した訳ではない。
しかし、
戦争をテーマにした映画は数多く見て来た。
その一つ、「むっちゃんの詩」という映画は
一人の少女が戦時下を生きていく中での
悲惨な出来事をテーマにしたものだった。
主人公「むっちゃん」はわが娘と
年齢が同じくらいだったので
自分の家族と映画がダブる中で涙を
流しながら銀幕に見入った記憶がある。
2014_08_16-2
あらすじを簡単に書いておこう。
むっちゃんは横浜で生まれた。
父は兵役にとられ戦地に赴いてまもなく、
戦死の情報が届いたが
母は生きて帰ってくるものと
ひたすら信じて疎開もせず、
戦禍のきびしい横浜を離れなかった。
二人の子供を育てるために、
末っ子の面倒をむっちゃんに見させて
働きに出なけらばならなかった。
そんなある日、横浜が大空襲になり
母と弟は戦禍を免れることなく
戦争の犠牲者になった。
母と弟を亡くしたむっちゃんは
まだ幼い小学生だった。
2014_08_16-3
独りぼっちになって大分の
伯父さん夫婦を訪ねたが
すでに伯父さん夫婦も亡くなっており
たったひとりの従姉妹(彼女)に
面倒を見てもらうことになった。
彼女は住み込みの女中をしており、
むっちゃんを一緒に住まわせる代わりに
お座敷の接待にも出なければならなかった。
2014_08_16-4
やがてむっちゃんは吐血し
不治の病と恐れられた結核を患う。
料亭を出て防空壕に
隔離されることになったむっちゃんは
周囲から肺病患者は出て行け、
非国民などと蔑視された。
やがて従姉妹の彼女も戦争の犠牲になり、
周囲から隔絶されたむっちゃんは
食べ物も与えられなくなって
病状は急速に悪化していった。
防空壕の中で孤独と闘いながら
終戦の数日後に死んでいったむっちゃんの
姿を見て周囲の人たちはその時になって
初めて自分たちのとって来た
むごい態度に気づいたのだった。
2014_08_16-5
この映画を見た人は戦時下では
仕方のないことだったと
思う人もあるだろう。
戦争は人の心まで蝕んで
人間らしい判断も出来なくなることを
感じた人もあるだろう。
私は平和への啓発映画をひとりでも多く
見て頂き戦争の悲惨さと
人間らしさとは何かを知ってほしいと願う。
2014_08_16-6
いま集団的自衛権の是非を問われている時、
政治家の多くは戦争の悲惨さを知らない。
国益を守るという美化されたことばと裏腹に
若者が戦地に赴いて命を投げ出すことになる。
政治家は自分たちの子供、孫が
戦地に赴く現実を真剣に考えているのだろうか、
残された家族にむっちゃんの詩にあるような
筋書きが二度とあってはならない。
そして憲法9条の解釈を
変更することにも強い憤りを感じる。
解釈の正反対が許されるようでは
憲法無視も甚だしいと私は思っている。
憲法解釈は中国や北朝鮮の脅威とは
全く異質のことであるからだ。

この記事は二つのブログ、
「風のたより」と「山里に暮らす」に
同じ内容で掲載しました。
戦争のない平和な暮らしに
ひとりでも多くの方が関心を寄せて
いただくことを願っています。

2014_08_15-1
台風11号は四国高知県に上陸したあと
瀬戸内海を渡りわが地方、兵庫県に再上陸した。
太平洋からノロノロと北上し進路が決まらない中で
わが地方は梅雨のような天気だった。
そんな天気で庭の管理作業も出来ず、
雑草が伸び放題になっていた。
今日も除草作業におよそ2時間をかけた。
もう3日間続きの除草作業だった。
写真のように台風で鉢が倒れないようにと
ロープで縛りつけた状態がまだ残っている。
復旧作業まで手が回らないのが本音である。

2014_08_15-2
お盆が過ぎる頃になると
毎年のように夏水仙が咲き始める。
季節は秋へと進んでいる筈だが
朝夕はまだ涼しくならない。
今日も蒸し暑い天気だった。
立秋を過ぎると日中の残暑は厳しくても
朝夕は涼しくなる筈なのに
いったい何が起こっているのか。

2014_08_15-3
草取りの合間にカメラを以持って庭を一回りすると
夏の花であるアジサイとハイビスカスが咲いていた。
沖縄ではハイビスカスが一年を通して咲き、
丈夫な枝葉は海風から畑を守る防風林の役目を担う。
熱帯から亜熱帯地方に分布するハイビスカスは
冬季に室内に持ち込めばわが地方でも越冬するが
管理が大変なので毎年買ってその年限りになる。

2014_08_15-4
園芸店で売られているハイビスカスは
小さなプラ鉢に植えられているので
買ったらすぐに大きめの鉢に植え替えることと、
蕾は葉っぱの付け根から出るので
基本的に葉っぱを健全に育てることがコツである。
そんなことをNHKの「趣味の園芸講座」で聞いた。
ハイビスカスは一日花である。
明日の朝には萎んでいるだろう。

2014_08_15-5
夏至の頃は日没まで長かったが
最近は日の暮れが早くなった。
立秋は8月7日、この頃になると
秋の気配が初めて出て来ると言われる。

2014_08_15-8
庭のヤマボウシの実が赤くなり始めた。
庭を細かく観察すると
やっぱり秋の気配は近づいているのだ。

2014_08_15-6
夏の間、わが家の庭で主役だったルドベキア、
最近は旬を過ぎてタネをつけ始めている。

2014_08_15-7
そしてシマトネリコも
タネをつけた白いサヤがぶら下がっている。
間もなく地上にタネが播かれるだろう。
今日も除草作業をしているとシマトネリコの
小さな実生苗が花壇の中で育っていた。

2014_08_14-6
ノロノロ台風が発生して雨がよく降りました。
来る日も来る日も降るものですから
庭や畑に出て管理作業が滞っている間に
雑草がどうしようもないほど背高く伸びていました。
そんな庭を刈払い機を使って雑草を刈りました。
雑草が一輪車に2杯分もありました。

2014_08_14-1
この場所、本当は芝生が生えている筈です。
長年の間、芝の目土も入れず
手入れを怠っていたので雑草が生えました。

2014_08_14-2
広葉の雑草だけを枯らす芝生用の除草剤を使ったのです。
するとコニファーであるヨーロッパゴールドが
枯れてしまったのです(切り株が残っています)
散布した薬液が
葉っぱから吸収するタイプであれば
枯れることはなかったと思うのですが
土に散布して根を枯らすタイプを使ったので
コニファーが枯れたのだと思います。
これもいい経験になったので次は同じ失敗をしないでしょう。

2014_08_14-3
夏になると雑草対策が忙しいです。
レンガを敷くとかウッドデッキで覆うとか
何とか考えなければいけません。
レンガを敷くのが手っ取り早いかと。。。

2014_08_14-4
台風対策でラダーをパーゴラの柱に括り付けています。
台風通過後の復旧もまだ残っているのです。

2014_08_14-5
この辺りも通路だけ除草をしました。
花壇の中はまだ雑草が残っています。
今日は雑草との戦いが3日めでした。
明日も雑草取りに頑張ります。

2014_08_13-1
クラちゃんの祖国は
英国のシェットランド島、
日本に比べて寒さが格段に厳しい。
そんな環境に耐えられるように
被毛はアンダーコートと
ロングコートになっている。
夏場の暑さは身体に堪えるらしく
朝陽が昇ると暑そうにあえぎながら歩く。

2014_08_13-8
(アンジェラ)
そんなクラちゃんのために
暑さを避けて朝早く散歩に出る。
その方が夏は
クラちゃんにも私にもいいのである。

2014_08_13-2
(クラちゃん)

2014_08_13-3
私たちと犬が生活するのは
クラちゃんが初めてである。
それまでの私たちは
犬とは吠える、噛みつく
飼い主家族だけに従順である。
そんな漠然とした思いしかなかった。

2014_08_13-4
でも飼って年月が経つにつれ
犬という動物に対して
知らなかったことを知り、
犬の感情を理解できるようになった。
もともと犬にも嬉しい、悲しい、寂しい、
そんな感情があるとは思っていた。
嬉しいときには
尻尾しっぽをビュンビュン振るし、
悲しい時や寂しい時は
キューンキューンと言って泣く、

2014_08_13-5
(クラちゃんのお昼寝)

2014_08_13-6
そんなことよりも
犬が人間の感情を読みとり、
そして犬自身の感情、意志を
カーミングという動作で
人間に伝えることがわかった。

2014_08_13-7
カーミングは目の表情や、耳の動き方、
口吻こうふんを舌でめる、尻尾しっぽの動き、
吠え声の音程などで感情を表現する。
私たちに怒られて拙いと思うときは
耳を後方に下げて口吻を舌で舐める。
褒められて嬉しいときは
口を開けて尻尾がちぎれんばかりに振る。
楽しい時も口を僅かに開けて
アーモンドの形に似た
つぶらな瞳で私を見つめてくる。
その表情は
ニタッと笑っているように見える。
それぞれ感情の表現が違うのである。
だから人は犬を飼い
ペットという思いよりも人格化して
家族と同列の思いを抱くのだと思う。

2014_08_13-9
(アンバークイーン)
犬は人間との
コミュニケーション能力に優れている。
そんな犬が古代から
人間と一緒に生活するようになった理由を
クラちゃんが私たちに教えてくれた。
そして犬は人間を裏切ったりしない。
生活を共にする中で
培われた信頼のきずなを大切にする。
だから人間の身勝手で
犬を裏切ったりすることは
許されないことだと思う。

2014_08_13-10
(ジュビリセレブレーション)
残念ながら犬は意外と短命である。
犬種によって寿命は違うが
大型犬で10年、
小型犬で14~5年と言われる。
クラちゃんも今年9月で12歳、
クラちゃんを見ていると
明らかに晩年にさしかかっている。
私も晩年を生きているので
どちらが先に逝くかわからないけど
クラちゃんとの別れの時を
乗り越えられるように
覚悟を決めておかなくてはならない。
そんなことを思う今日この頃である。

最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

2014_08_12-1
台風が過ぎ去った翌日の散歩道、
田圃の畦に咲いたルドベキアは無事だった。
二輪咲いた頃に写真を撮らなくてはと思っていたのに
それからおよそひと月が過ぎた。
稲も大きくなって水面が見えなくなった。
そして花の数が増えて大株になっていた。

2014_08_12-2
オクラに数日前から毛虫が発生、
見つけ次第補殺しているが次々と発生する。
この毛虫は成長すると黄色の横縞が現れる。

2014_08_12-3
同じくオクラの葉っぱにアマガエル、
毛虫を食べてくれるとありがたいのだが。。。

2014_08_12-4
そして大きく実が入り始めたトウモロコシ、
鳥がこんな悪戯を始めた。
明日は防鳥網を張ろう。

2014_08_12-5
夏季も大きくなって実りの秋が近づいた。
生理落下が激しかったがまだ実がたくさん付いている。

2014_08_12-6
かんきつ類もたくさん実をつけている。
でもこれは酸っぱくて食べられない。

2014_08_12-7
ヤマボウシの実が充実して
ほんのり赤くなり始めたものもある。
秋は少しずつ近づいている。

2014_08_11-1
バフビューティ
アンジェラ

2014_08_11-2
モーツアルト

2014_08_11-3
ピ-ス

2014_08_11-4
アンジェラ

2014_08_11-5
ポールズ・ヒマラヤンムスク
ピエール・ド・ロンサール

2014_08_10-1
わが家が犬を飼い始めたのは
今から12年前のことだった。
もともと犬好きの家族でありながら
犬は飼えないものと誰もが諦めていた。
それは糞尿、吠え癖、噛み癖など、
しつけ問題や朝夕の散歩など責任をもって
出来るだろうかと思うことが
諦めの根源だったように思う。
そんな私たち家族が暮れも押し詰まったある日、
妻が唐突に
「犬を飼おうか」と言った一言が始まりだった。
私はその一言に大いに乗り気になり、
娘に「お母さんが犬を飼おうと言っている」。。。
と告げると娘も即座にその気になったのだった。
こうして妻の一言が犬を飼うきっかけとなった。
2014_08_10-5
それからというもの、娘と私は週末になると
足しげくペットショップへ犬を見に行った。
ペットショップではセントバーナードや
ニューファンドランドなどの超大型犬が
看板犬として店内で放し飼いにされていた。
わんわん牧場というお店の名前が示すとおり
ラブラドール、ゴールデンなどの大型犬から
柴犬、シェルティ、ビーグルなど中型犬や
ミニチュアダックス、トイプードル、
チワワなどの小型犬に至るまでいろんな犬種が
飼い主が決まるのを待っていた。
しかし、その日は犬を見るだけでいざ、飼うとなると
娘も私も飼うという決心がつかなかった。
犬を飼うことの責任の重さを感じていたからだった。
犬を飼うこと、すなわち命を飼うことである。
飼ったらどんなことがあっても
最期まで責任を持たなくてはならない。
吠え癖がついて近所迷惑にならないか、
飼い主に従わない問題犬になったらどうしよう。
飼った経験が無い私たちの心配は山ほどあった。
飼ったら家族である。私たちの身勝手で
犬を処分することは絶対に許されないと思うと
決心がつかないのは当然のことであった。
そして娘も思うことは同じだった筈である。
2014_08_10-9
ペットショップに行ったけれど
犬種の決定もおぼつかず、
日を改めて出直すことになった。
娘の第一希望はミニチュアダックス、
私は柴犬が勇敢で番犬としても
頼もしいと考えていた。
しかし、柴犬はきりっと巻いた尻尾の下に
肛門がいつも見えているのを娘が嫌がった。
娘と私にそれぞれの思いがあり、
希望のずれはあったが価格帯、しつけやすさ、
可愛さ、成犬になった時の大きさなどを
考えてシェルティを買うことがきまった。
その時の思い出として今も頭に残るのは
個体価格の値引きを要求したことである。
今にして思えば、命を飼うことなので
値引きは非常識なことだったと
今でも恥ずかしく思っている。
2014_08_07-7
犬を段ボール箱に入れて貰い、
ケージやスリッカー、コーム、食器、
ペットフード、サプリメントなど
一緒に買うと予想外の出費だったが
全て私の小遣いで買うことになった。
犬を連れて帰るとお座りの姿勢になり、
怖がってブルブル震えていた。
当分の間は環境の変化がストレスになると
聞いていたのでケージで休ませるときは
ペットショップの匂いがしみ付いた
ぬいぐるみを犬の傍に置いてやった。
「犬は三日飼うと三年は恩を覚えている」とは
私が子供の頃に祖母からよく聞かされた言葉だった。
全くその通りで飼い始めて三日もすると
私たちに慣れて足もとにまとわりついて来た。
2014_08_07-2
でも本当に私たちに心を許している訳ではなかった。
それは私たちもまた同然で犬を信頼しきれなかった。
おやつのビスケットを手で直接与えるとき
ガブッと噛まれてしまうような気がして怖かった。

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