山里の暮らし

山里で畑を耕し、庭づくりに励み、カメラを手に四季の移ろいを追い
ガーデン庭小屋やパーゴラ作りのガーデン木工を趣味として気ままに
山里の暮らしを愉しんでいる日々の生活日記。

2016年03月

2016_03_21-6
今日は彼岸の中日、
高気圧に覆われて晴れているが
西高東低の気圧配置なので
朝は北風を冷たく感じる。
しかし、お昼頃になると気温が
グングン上昇して冬衣装を脱いだ。
季節は完全に春である。
サクランボが満開になった。

2016_03_21-7
暖地のサクランボは落果しやすい。
熟するまでに落果するので
わが地域ではサクランボが
生っている光景は珍らしい。
栽培の適地は冷涼な気候で雨が
少ない地方ということになるが
わが家のサクランボは落果せず、
小粒ながら真っ赤に熟れてくれる。
この木は植えたのではなく、
小鳥が落としたタネが
発芽して自然に大きくなった。
果実はヒヨドリとわが家のもの。
桜より1週間ほど早く開花して
花の咲く景色は桜と変わりない。
桜の開花予想は東京では21日、
大阪は24日だそうでわが地方だと
27日くらいの予想になるだろう。
平年では入学式のころに満開になる。

2016_03_21-1
わが家の生垣のレッドロビン、
庭と畑の境界を分ける生垣である。
このレッドロビンに斑点の付く病気が
出始めたので殺菌剤で消毒をした。
土の力が衰えると樹木も衰えて
病気になりやすいそうなので
株もとを浅く耕し牛糞を
鋤き込んで草除けシートを貼った。

2016_03_21-2
株もとを耕していると烏瓜の
芋がバケツに3杯ほど出てきた。
夏になると烏瓜のつるが生垣に昇り
烏瓜の葉で日照を遮っていた。
この烏瓜は女房が植えたものだが
ツルが地面を這うと土に接した処から
発根し光合成で得た澱粉を芋に蓄える。
冬になるとツルは枯れるが芋の状態で
越冬するのでどんどん増えたのである。
烏瓜の芋を除去するのに2日かかった。

2016_03_21-3
そして柑橘類のカボスである。
冬の最低気温は氷点下である。
防寒対策をしなければ
葉が寒さで傷み春になると
葉っぱがボロボロと落ちる。
実を生らす養分は葉っぱに
蓄えられるので葉が満足に
育たなければ実がならない。
そこで防寒対策として4隅に
杭を打ちU字形のプラ竹を
組んで防虫ネットを貼る。
防寒対策は防虫ネットなので
風通しもよく蒸れることはない。


2016_03_21-4
彼岸を過ぎると霜降も少なくなり
防寒も要らなくなったので撤去した。
こんな小さな木だけれど毎年100個
ほどのカボスを収穫している。

2016_03_21-5
そして今日は久しぶりにステンシル。
植木鉢を置くための飾りボックスに
文字入れをやってみたのだった。
作業の間にこんな遊びを取り入れると
ストレスの発散になりやる気が回復する。

2016_03_20-1
今日はティタティタ水仙の咲く
花壇を取り上げました。
ティタティタ水仙はラッパ水仙より
早く3月上旬から咲き始めます。
クリスマスローズと一緒に咲く姿は
とても清楚で可愛らしく見えます。
水仙のことを古代ギリシャ語で
ナルキッソスと言います。
ナルシストはギリシャ神話の
ナルキッソスが語源です。

2016_03_20-2
そんな水仙を見ていると
うっとりして見惚れてしまいます。
この水仙の咲く時期は宿根草や
他の球根植物が地上部に漸く
芽を出し始めた頃になります。

2016_03_20-3
水はけが良く日当たりが
良い場所では花付きも良好です。
株が大きくなると休眠する7月に
堀上げて風通しの良い日陰に
吊るし、10月ごろに植えつけます。
植え付けは球根の頭が
隠れる程度の浅めに植えつけます。
写真の株は混みすぎてきたので
掘り上げて分球をする時期に来ました。

2016_03_20-4
ティタティタ水仙の開花が
終わるころにラッパ水仙が
咲き始めます。
家のまわり、彼方此方に
植えていますが日当たりに
よって花数は左右されるようです。
水仙は水はけと日当たりが大事です。

2016_03_20-5
水仙は花が終わっても地上部を
残して球根を太らせます。
葉を切ってしまうと光合成が
行われなくなり球根が太りません。
地上部に芽が出るころは水切れに
ならないような注意が必要です。

2016_03_19-8
昨日は彼岸の入り、「寒さ暑さも
彼岸まで」と言われ当を得た
ことわざだと感心させられる。
家の中より外の方が暖かな朝、
今日は午後から雨予報なのに
朝のうちは青空が覗く天気、
気象庁の雨雲ズームレーダーを
見るとなるほど九州地方や
山口県は雨雲に覆われていた。
やがて近畿地方に低気圧が近づき
予報どおり雨が降り始めるだろう。
暖かな日は庭仕事に燃えている。
せめて雨が降り始めるまでと
今日もガーデナーは庭の手入れ。
日差しは暑く上着を脱ぐ。
レッドロビンの根元に牛糞を
鍬込むので熊手で土を起こす。
すると烏瓜の芋が出るわ出るわ、
この烏瓜はつる性植物なので
木に登るし地を這えば
土に接した処から発根する。
やがて根は芋に変わる性質がある。
このようにして子孫を増やしていく。
最初は烏瓜を観賞したいと妻が
植えたのだが今ではレッドロビンに
這って日照を妨げる存在になった。
わが家の指定外来種(害来腫)である。
完全に駆除することは難しいかも?
芋には大量の澱粉が蓄えられ食用に
出来ないかと調べてみたが漢方薬と
して利用されることがあるようだった。
ナチュラルガーデンに憧れてなんでも
植えるのは考え物だと分ってほしい。

2016_03_19-1
2月上旬から咲き始めた椿、
最近は霜が降りなくなって
花の傷みが少なくなった。
およそ1か月に亘って庭の
賑わいに孤軍奮闘していたが
そろそろ収束の時期に来たようだ。

2016_03_19-2
変わってこちらのツバキは霜が
降りなくなる4月ごろから
咲き始める品種であるが
暖冬だったので早くから咲いた。
光沢のある葉っぱで常緑性の
椿はどちらかというと和風向き、
わが家の庭にはあまり似合わない。
チャドクガという恐ろしい毛虫、
これが発生すると毒毛が空気中に
浮遊し人肌に付くとカブレを
起こすので椿を庭に植えることを
嫌う人が多いのも事実である。
茶の木に発生することが
多いところからチャドクガの
名前が付いたと言われている。
ガーデナーはチャドクガに触れて
酷い目にあった人も少なくない筈だ。

2016_03_19-3
散りゆく花もあれば咲き始める花もある。
マンサクはすでに花期が終わった。
写真は昨日からの陽気に誘われて
一気に咲き始めたサクランボである。
散り際の潔い桜の花とよく似ているが
ソメイヨシノより10日ほど早く開花する。

2016_03_19-4
満開の時期を過ぎてこれからは
だんだんと色が褪せ、やがて緑の葉芽を
出しながら散ってゆくサンシュユ。
別れが惜しい季節でもある。
卒業式が終わり
来週後半からは春休みが始まる。
別れと出会いの季節でもある。

2016_03_19-5
目の覚めるような青みを帯びた花、
名前は何か知らないが宿根草なので
この季節は2月に地上部に芽を出し、
3月中旬の今頃から咲き始める。

2016_03_19-6
欅の下のシャクナゲはツボミが
今年は極めて少なく寂しい限り、
地植えのクリスマスローズは株が
年ごとに太り、花も大きくなった。
花壇は落葉樹の葉っぱでむさ苦しい。

2016_03_19-7
女房が園芸店で選らんだ数々の花。
春らしい華やかな賑わいである。

2016_03_18-1
今日は忙しい日だった。
生垣のレッドロビンは葉っぱに
斑点が出る病気に罹っていたので
トップジンMの散布と生垣の
下に積もった枯葉の掃除、
そして玉ねぎのベト病、
玉ねぎのベト病に効く殺菌剤は
なかなか良いものが見当たらない。
ベト病を見かけたら引っこ抜いて
他へ移らないようにするのが
ベストと思いながらもトマトや
キュウリのベト病殺菌剤を散布した。

2016_03_18-2
そしてスモモの種類であるソルダム、
ふくろみ病という奴に毎年悩まされる。
実が大きくならず途中から豆の
サヤみたいな形に変わる病気である。
石灰硫黄剤が有効らしいがこれは
皮膚に付くと怖いそうなので
ホーマイコートという農薬を散布した。

2016_03_18-3
いずれも糸状菌の一種が
原因の病気であるので
完全に防除することは難しい。
ふくろみ病はサヤから胞子が
出るので見かけたら
早めに摘み取って
焼却することが大切である。

2016_03_18-4
バラに殺菌剤を散布することも
この時期は大切なんだそうだ。
今はバラの芽から葉っぱが
出始めている時期である。
黒点病などの菌は芽の部分に
潜んでいるので早めに殺菌剤を
散布することが大切なんだと
京阪園芸のバラスペシャリスト
小山内健さんはおっしゃている。

2016_03_18-5
この季節はバラも畑の作物も
予防的に殺菌剤や殺虫剤を
散布する大切な時期である。
病気は出てから治療ではなく、
予防することが大切なのだ。
今日は写真とは関係のない記事、
写真は特に説明するような
ものでもないと思ったので
今日の消毒作業について
思ったことを書き集めてみた。

2016_03_17-1
父が畑作をしていた頃は備中鍬を
使って手作業で土を耕していた。
僅かな家庭菜園ではそれで
十分に間に合っていたのだが
父も晩年には体力が衰えたので
私が畑を管理するようになった。
当時の私は現役の職業人だったので
手間のかかることは嫌だった。
そこで女房の従弟が農機具の
ディーラーに勤めているので
「小さな管理機を買いたい」と言って
相談すると「あまり軽量のものは
機械が跳ねて使いづらい」との事、
適切なアドバイスを得て購入したのが
クボタのミニ耕運機「土の助」だった。
重量は150kgほどあるので耕運爪が
固い土を掻いても本体が反作用で
浮き上がるようなことはないのだが
女房がこれを使いこなすことは無理、
今思えばやっぱり管理機にしておけば、
という気がしないでもないのである。

2016_03_17-2
さて、今年もこの季節になった。
写真はタネイモを植える前に
畑の元肥えを施すことから始まった。
畝1本あたりに牛糞1袋(40L入り)
発酵乾燥鶏糞1袋(15kg入り)
さらに有機ペレット肥料(魚粉など系)
化成肥料を1mあたり1握りを撒き、
耕運機で畝を掻きまぜる作業だった。

2016_03_17-3
里芋は品種(赤芽大吉)1.5kg、
病気が出ないように薬品処理がしてある。
この品種は芋が柔らかく美味しいので
わが家のお気に入りである。

2016_03_17-4
植え方は畝の中央に溝を掘り、
およそ60cm間隔でタネイモを
一列に並べ、芋とイモの間に、
化成肥料、有機ペレットの混合物を
一握りずつ置き肥えをしておく。
土を被せたあとは収穫までに
土寄せや追肥を各2回ほど行う。
里芋は湿り気を好むので夏場になると
枯草を株もとに置いて乾燥を防ぐ。

2016_03_17-5
11月ごろになると1株あたり、
バケツに満杯ほど収穫できる。
わが家だけでは食べきれないので
ご近所に配れば喜ばれる。
里芋は地表部に次々に茎芽を出す。
これを放任すると親芋が増え、
子芋が増えないので茎芽は適当に
摘み取ってやる必要がある。
何故なら親芋は子芋に比べて
食味が数段落ちるからである。
写真の中で大きな芋が親芋である。

2016_03_17-6
次にジャガイモの植え付けである。
品種はメークイン2kg、男爵1kg、
キタアカリ2kgを購入して
そのうちメークインは芽の出方を
確認しながら二つに切り分けた。
切り口には腐敗菌が入らないように
ジャガイモシリカという粉をつけ、
植え付け前に数日間乾燥させた。

2016_03_17-7
写真がジャガイモシリカの粉末、
JA農協で一袋400円程度だった。

2016_03_17-8
畝に30cm間隔で千鳥状に配置し、
切り口を下にして深さ10cm程度に埋めた。

2016_03_17-9
植えつけたタネイモは過度の
湿気だと腐りやすいので、
雨が入らないように黒い
ビニールでマルチングした。
こうすることで地温を保ち
発芽を促す効果もある。
地上部に芽が出るころになると
マルチングは撤去する。
左側のマルチの無い畝は
里芋(赤芽大吉)の畝である。

2016_03_17-10
6月中旬になると収穫できる。
たくさん収穫するまでに
地上部に出た茎を間引き、
土寄せ、追肥が大切である。

2016_03_16-1
移動性高気圧に覆われて
青空の春日和になった。
しかし北風が強いので
さほど暖かくは感じない。
でも庭は日ごとに春らしく
なって今日はトサミズキの
ツボミガ開き始めていた。
里山ではキジの夫婦が
繁殖の季節を迎え、
羽音を立てて谷を渡った。

2016_03_16-2
そんな日、庭小屋の内装に決着を
つけようと今日も頑張った。
作業はフローリング用の
羽目板を貼る単純作業である。
今日の作業は羽目板4枚分程度だ。
先ずは壁に密着していた棚を
中央に寄せる作業からである。

2016_03_16-3
羽目板の断面はこんな形である。
両サイドに凸面と凹面があり、
裏面は幅10mm程度、深さ2mm
程度の浅い溝が掘られている。
壁用ではこの浅い溝は無いのである。

2016_03_16-4
凸側の肩部に釘を打ち付けるポンチ、
金属に打つポンチと違って先端は凹形である。
これにより釘の頭が木面より中へ入る。

2016_03_16-5
釘で示した凸部に釘を打った写真。
50cm間隔で羽目板に釘を打つ。

2016_03_16-6
床に羽目板がを貼り終えた状態。
10年間も余材を寝かせてあったので
日焼けした板もあれば薄汚れた板もある。
照明器具はまだ付けていない。
ネットで探して買うつもりである。

2016_03_16-7
小屋の中にはまだ余材が残っている。
これからはガーデン木工に使って
箱物や本棚、靴箱など作っていきたい。

2016_03_16-8
中古のエアコンがあるので
壁の上部に吹き出し口を付けようと
コンセントも配置しておいた。

2016_03_15-1
三月に入ると周期的に
天気が崩れ、雨の降る日も
あれば寒の戻りもある。
今日は肌寒い雨が降った。
昨夜から降り始めた雨は
今日の午前中も降り続いた。
楢に椎茸の種菌を植えた榾木、
外に出しておくと雨にぬれ、
四方が暖かくなると椎茸の
赤ちゃんがポコッと顔を出し
陽気に誘われて大きくなる。
そんな椎茸を収穫するのも
山里で暮らす愉しみである。
2016_03_15-2
今日は妻と一緒に神戸へ、
六甲山系を抜ける岨づたいの
細い道を走っていると
両脇の雑木林で新緑が
芽吹き始めているのが見えた。
わが地方の内陸部に比べると
夜間の冷え込みが小さい分、
季節の移ろいが早いようだ。

2016_03_15-3
わが地方は神戸に比べると
日中の気温は変わらないが
夜間の温度は5℃ほど低くなる。
暖かさは日ごとに増しても、
花壇はまだ早春の装いである。

2016_03_15-4
日の入り時間が遅くなり
夕方5時ごろでも庭に陽が射す。
春の柔らかい陽射しの中で
バラの芽が日ごと大きくなり、
気になっていた黒点病と
うどんこ病の予防薬の
散布を昨日済ませたのだった。

2016_03_15-5
早春の花、サンシュユが満開になり
遠目からも目を惹くようなった。
下旬になると例年では
山裾のサクランボの花が咲き始める。
春の足音が駆け足で近づいて来た。

2016_03_14-1
永らく中断していた庭小屋の
内装工事を再開しました。
壁面は張り終えたのですが
フローリングと天井廻縁が
未完成のままだったのです。

2016_03_14-3
壁面は昨年の11月に完成していました。
天井廻縁を入れると壁の立ち上がりと
天井の隙間がなく、すっきりしました。

2016_03_14-2
フローリングの羽目板や廻縁は
ログハウスを建てた余材を使います。
ただし、
ログハウスはログハウスメーカー
BESSに建ててもらいました。
木材を切る作業は外で行います。

2016_03_14-4
コンセントやスイッチ類は
すでに配線済みになっています。
棚は昨年11月に完成しました。
棚がなければ収納物を作業の
開始時に外に出し、終了すれば
小屋内に戻す手間が毎回必要です。

2016_03_14-5
最終段階のフローリングです。
羽目板は保管期間が10年目になり
少し汚れが目立ちます。
乾燥していますので
施工後の狂いは少ないと思います。

2016_03_14-6
フローリングは凹凸部の凸部に
釘を斜めに打ち込んでいます。
木工ボンドは使用していません。

2016_03_14-7
釘を凸部に完全に打ち込むには
金づちの上に写っている
専用のポンチを使いました。

2016_03_14-8
朝からかかってここで日没です。
庭小屋は物置きとして使うので
内装は不要ですが大量の羽目板を
使い切るために張りました。
すべて張り終えると次は
棚をもう少し増やすつもりです。

2016_03_12-1
空はどんより曇る冬空に戻った。
北風が強く、掘ったばかりの
里芋を洗う手が冷たく痛い。
今日は3月11日、5年前に
東北地方を大津波が襲った日だ。
テレビが凄まじい津波の破壊力を映した。
小高い丘に登って流される家を
なすすべも無く見ながら
泣く人たちの姿が痛々しい。
あの日から5年が経った。
復興はまだ道半ば である。
被災者は希望を捨てず、
不自由な中で先を見ながら
我慢強く復興に向けて歩む。
津波は歴史上でも
稀にみる大規模なものだった。
そして絶対に安全とされていた
原子力発電所の事故は安全神話を
覆す悲惨なものになった。

2016_03_12-2
廃炉に向けては難問が山積する。
難しい課題を解決する技術的な
見通しも立っていない。
積み上げられた除染のゴミの
最終廃棄場所もない。
日本は火山が多く世界有数の
地震 多発国でもある。
神戸淡路大震災は
誰も予想出来なかった。
活断層は全活断層の5%程度しか
知られていないからである。
そして四方を海に囲まれた島国、
歴史上を超える大規模な
津波が再来することはあり得る。
それでも原発をベース電源として
推進する政府の姿勢は如何なものか。
人の命より経済優先としか思えない。
高浜原発が福島のような事故に
なったら近畿の水瓶、琵琶湖の
水は汚染され大都市大阪は
人が住めなくなるだろう。
そういう意味で裁判所の仮処分は
正しかったと言わざるを得ない。

2016_03_12-3
チェルノブイリ、スリーマイル島、
そして5年前の福島原発事故、
日本は立地的にリスクの大きい国、
過去の教訓を省みず福島の教訓さえ
生かされない原発政策に疑問を
持つのは私だけではない筈である。
世界トップレベルの原発安全基準
と言っても立地的にリスクの
大きい日本では他国と
比較することはナンセンスである。
ドイツは原発ゼロ政策を選択した。
これにより新しいエネルギー技術は
飛躍的に伸びるだろうと思われる。
目先の経済を活性化することは
政権にとって重要なことではある。
しかし、将来に向けて非原発政策に
舵を切ればエネルギー利用技術も
飛躍的に向上するものである。
そいう意味でドイツの選択は
賢くて流石一流の工業国と言える。

2016_03_11-1
明日は東日本大震災のあった日、
その前日、弟は胆管癌の病魔に
襲われ60歳の若さで逝った。
だから今日は弟の命日だった。
その命日にお仏壇にお参りし、
お墓で手を合わせたのだった。
お仏壇には弟の遺影が飾られ、
トルコキキョウが飾ってあった。
お線香をあげ数珠を手に恭しく
「南無大師遍照金剛」
と心の中で七回繰り返した。
幼いころから可愛いかった弟の
遺影を見るとグッと胸が詰まる。
そして久しぶりに弟に会えた
不思議な思いがするのだった。
あれから5年の年月が流れた。
志半ばで逝ってしまった弟の無念
それを思うと涙が出そうになる。
仏壇横の飾り棚には病院のベットで
写した夫婦の写真と前年の秋、
退院後に家族三人が行楽に
行った写真が飾られていた。
幸せな家庭だったことが読み取れた。

2016_03_11-2
三月になると水仙の花や
スノードロップが咲き始める。
カメラが好きだった弟は
私の家に遊びに来てもいつも
首にカメラをぶら下げて庭の
花を撮っていることが多かった。
そのカメラを亡くなる数日前に
カメラ2台と望遠レンズを
私に差し出したのだった。
私は病院の手立てが終末医療の
緩和ケアしかないことが分かって
いながら弟の病気は丸山ワクチンで
必ず治してみせると思っていたので
弟が死の現実と向き合っていること
など全く理解していなかった。
だからその時は「カメラは元気に
なれば使えばいいから要らない」と
断わったら弟は泣いてしまった。
いま思い返すと私は弟の気持ちを
読み取れない大馬鹿者だった。

2016_03_11-3
病魔に苦しんでいる弟の
心の内を読み取ってやれなかった
ことが弟の死後も絶ちがたい
後悔となって遺っている。

2016_03_11-4
弟は死んでしまったが天国で
新しい人生を歩み始めている。
今まで、死後の世界なんて
有り得ないと思っていた私だったが
弟が亡くなると死生観が変わった。
私も死んでしまえば弟に会える、
そんな気がして死ぬことが
怖くない気がするのだった。
今年の1月、母が亡くなった。
湯灌の儀では「お母ちゃん、あちらに
行ったら○○に会えるよ」と告げた。

今日は弟の命日にちなんで
弟への思いを書き残しました。
東日本大震災では多くの犠牲者と
一瞬にして家族を失った方々が
悔しい思いをされています。
肉親を失うことは本当に悲しいです。
大震災から5年経った今でも
復興事業が遅々として進まず、
今も仮設住宅にお住まいになる
被災者の方々が多くおられます。
そして原発事故の後遺症で
ふるさとを失った方々の思い、
私たちはその人たちの思いに少しでも
近づき復興を後押ししたいものです。

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