山里の暮らし

山里で畑を耕し、庭づくりに励み、カメラを手に四季の移ろいを追い
ガーデン庭小屋やパーゴラ作りのガーデン木工を趣味として気ままに
山里の暮らしを愉しんでいる日々の生活日記。

犬と過ごす

本日9月4日はクラちゃんの
生誕記念日です。
クラちゃんは8月10日、
午前4時45分、17歳11か月で
生涯を終えました。
生きていれば本日18歳でした。
クラちゃんを偲びつつ、
日記をさかのぼって見ると日々、
衰弱する様子がわかります。
まだまだ生きてくれると
信じていたのですが
日記からぎりぎりの状態で
生死の境を彷徨さまよって
いたことがわかりました。
以下にその概要をしるします。
2020_09_04-1
(7月22日)動物病院で定期健診、
獣医が血液検査の結果を示し、
死が近いことを告知される。
腎臓、肝臓、膵臓の不全が
かなり悪い状況でした。
動物病院で投薬を受けて
毎日服薬していました。
そのために毎月定期検診は
受けておりました。
なお、往復2時間の移動が
厳しかったのかこの日から
衰弱の進みがみられました。
写真は14歳の誕生日です
2020_09_04-2
(7月25日)久しぶりに
朝夕2回の散歩をしました。
この日から一日2回の食餌しょくじ
1日三回に分けて与えています。
内臓への負担が軽くなると
思ったからです。

(7月26日)夕食後に嘔吐しました。
嘔吐は久しぶりのことでした。

(7月27日)前日に続き嘔吐しました。
食餌の量を一日当たり90g、
30g分減らしました。

(7月29日)この日も嘔吐しました。
目に見えて調子が悪くなった感じ。

(8月2日)さらに衰弱が進みました。
トイレシートの上で立つのが
やっとの感じになりました。
なんとかトイレシートの上で
排尿、排便が出来ていました。

(8月3日)食餌の量を一日当たり
5gだけ増やしました。
一日の食餌量は95gです。

(8月4日)更に衰弱したことが目に
見えてわかるようになりました。
トイレシートの上に立つことが
精一杯の状態でした。
この日から水は注射器で与えました。

(8月5日)クラちゃんの衰弱が
激しいのでブログには
「クラちゃんもう頑張らなくてもいいよ」
の題名でアップしました。
生きていることの方が
辛いような状態だと思ったのです。

(8月8日)久しぶりに嘔吐して
尿の出が悪くなりました。
かなり衰弱してトイレシートで
自立した排尿が出来なくなりました。
この日は午後5時まで
ずっと傍で介護していました。

(8月9日)トイレシートの上で自立
できたのですが排尿しませんでした。
自立したのでその日のブログは
「クラちゃんの頑張りに感動した」
の題名でブログを更新しました。

(8月10日)クラちゃんは壮絶な
苦しみと戦いましたが
残念ながら他界しました。
2020_09_04-3
クラちゃんは動物病院の
先生に愛され親身になって
診察治療をして頂きました。
真夜中に緊急診察をして
頂いたり、
たびたび入院して
その一命をとりとめて
頂きました。
18年間もの長い間
生きて来れたのは
獣医の先生方や看護師、
医療従事者のおかげでした。
またブログでは多くの
クラちゃんファンから
心温まるメッセージを頂き、
家族一同、
大変うれしく思いました。
クラちゃんファンの皆様には
これからクラちゃんの
思い出しかお伝え出来ません。
それがクラちゃんも
きっと心残りだと思います。
安らかに眠られるように
お庭のひと隅にお墓を造って
手厚く葬って
あげたいと思っています。
ありがとうございました。

クラちゃんが亡くなって
22日が過ぎました。
そして今日も在りし日を
偲んで一日が過ぎました。
クラちゃんのことを
忘れない」。。。
それほどクラちゃんは
私の心の中で
大切な存在でした。
愛犬を失うことのショックが
こんなにも大きいとは。。。
今は失意のどん底です。
2020_09_02-1
クラちゃんを亡くしてから
私は夕方になると
一人で散歩をしています。
散歩らしい散歩をしてから
10日ほどが経ちました。
少し長く歩くと家に
着く頃に歩幅が小さく
なりますが徐々に
鍛えられて心肺機能も
脚力も向上すると思います。
2020_09_02-2
クラちゃんと歩いた
農道や川の堤防を歩くと
在りし日のクラちゃんが
瞼に浮かんで
胸がキュンと痛みます。
散歩の途中にクラちゃんが
好きだったラブラドールの
リボ君のお家があります。
聞くところによると
リボ君はクラちゃんより
1か月ほど前に
虹の橋を渡ったそうです。
「生あるものは必ず滅す」
この言葉があるように
出会いがあれば必ず
お別れの時が来ます。
そう言えば私も晩年です。
家族のために終活を真剣に
考える歳にりました。
2020_09_02-3
山里の暮らしを題材に
ブログを始めたのは
2013年12月でした。
それ以前は
木漏れ日の射すガーデン
を書いておりましたが
そこにクラちゃんが
登場していたかは
覚えておりません。
山里の暮らしに
登場したクラちゃんは
年齢が11歳の頃で
人間の年齢に換算すると
70歳の初老の犬でした。
2020_09_02-4
子犬の頃から
7歳くらいまではとても
活発で遊び好きでした。
綱引きが好きでしたし、
ボールを追っかけたり
上空を舞う鳩の群れを
追っかけたり、
稲刈りが終わった
田んぼでは優雅な走りも
見せてくれていました。
活発だったクラちゃんに
老齢化が見え始めたのは
10歳を超えた頃でした。
そんな頃が懐かしくて
撮り貯めた写真を見て
一日が過ぎて行きます。

追記
9月4日はクラちゃんの誕生日です。
あと少しのところでお別れでした。
 

2020_08_27-1
クラちゃんが逝って
17日が経ちました。
クラちゃんのいない
寂しさと言うか
虚無感と言うか、
日毎に増して
大きくなっています。
ブログを書くと
何故か湿っぽい記事に
なってしまいます。
私がブログを始めたのは
2013年の師走でした。
その頃はクラちゃんは
わが家の一員になって
10年を過ぎていました。
2020_08_27-2
犬は10年を過ぎると
人間の歳に準えて
70歳を超える頃です。
もう初老の頃ですね。
写真は2013年4月ですから
クラちゃんは11歳です。
場所は兵庫県加西市にある
フラワーセンターです。
クラちゃんは姫路ばら園、
宝塚陽春園、姫路植木市
などにもよく行きました。
でも疲れるので
楽しくなかったかもです。
2020_08_27-3
この写真は1歳の頃です。
前足の振袖のような
長い毛はまだありません。
顔まわりの毛も茶色が濃くて
若々しさが見えています。
犬は歳をとっても人間のように
しわが濃くなったりしませんが
顔まわりの毛の色は
段々と白っぽくなって色が
薄くなるような傾向です。
そのほか目のまわりに
白く長い毛が目立つように
なるようです。
2020_08_27-4
人間と同じような老化現象が
外見からも見て取れます。
足腰の老化は顕著に現れます。
俊敏で軽快な動きが
嘘のように衰えて
走ることさえできなくなります。
そんなことを犬を飼って
初めて知ることとなりました。
今日もクラちゃんの写真や
ビデオを見てため息ばかり
つきながら過ぎて行きました。

2020_08_23-1
クラちゃんが亡くなって
明日で2週間になります。
亡くなった日は現実を
素直に受け止められず、
すごく強い緊張感があり、
久しぶりに血圧が140を
超えていました。
2020_08_23-2
猛暑日の続く頃でしたので
早く火葬しなければ、
遺体が傷むだろうと事態を
先に進めることばかりに
焦っていたと思います。
息を引きとってから
5時間半後の10時15分に
クラちゃんの
個別葬が始まりました。
いま考えると何故そんなに
急いだのかと悔やまれます。
ドライアイスを手配すれば
その日はわが家で通夜も
出来ただろうに。。。
亡くなって僅か半日も
経たないうちに火葬した
ことをクラちゃんには
「すまない」とお詫びしたい
気持ちでいっぱいです。
2020_08_23-3
今日はクラちゃんと
一緒に散歩した思い出の
コースを歩きました。
クラちゃんの在りし日と
一緒に散歩した光景が
瞼に浮かんで胸がキュンと
詰まる気持ちでした。
今、考えるとクラちゃんに
してあげることがもっと
もっとあったのにと後悔します。
どうせ18歳までの命なら
好きなおやつをもっと
いっぱい食べさせてやれば
よかった、老齢期は散歩を
したくない日もあったかも、
散歩に無理に連れ出す日も
あったのかも?とあれこれ
考えてしまうこの頃です。
夜は同じ寝室で寝させて
あげたかったとも思います。
2020_08_23-4
写真に写る犬は
クラちゃんが
好きだったリボ君です。
大型犬ですがとても
気が優しくて
誰にも従順な犬でした。
ここ2年ほどはリボ君の
犬舎まで歩くことが
ありませんでした。
3月の頃、リボ君が
飼い主のご夫婦と一緒に
堤防を歩いていたとき、
出会った私が膝まずいて
「おいで」をすると
シッポをふりふり擦り寄って
くれたのが最後の思い出です。
その後、
犬舎の前を通っても
リボ君の姿を見ませんので
クラちゃんより少し先に
逝ったのかな?と
思っています。
堤防をクラちゃんと
歩いていると遠く離れた
犬舎から吠えて私を
呼ぶリボ君でした。
会うと犬用のビスケットを
1個あげていました。
その要求で吠えて私を
呼んでいたのでしょう。
クラちゃんより3歳ほど
若いリボ君でした。
追記
昨日土曜日はクラちゃんの
二七日、二逮夜でした。

盆を過ぎて秋風が吹く
季節なのに35℃を超える
猛暑日が続いています。
静岡県では41、8℃の
最高気温を記録しました。
観測史上最高記録だった
群馬県伊勢崎市の記録と
並んだそうです。
静岡県は海辺ですから
海水の暖まり難く、
冷め難いという比熱の
影響があるので内陸部ほど
暑くならないはずです。
それだけ地球環境は
変わってきたのでしょうか。
2020_08_19-1
クラちゃんが逝って
今日は9日目です。
日増しにクラちゃんの
いない寂しさが募ります。
シェルティのブログを
検索して見ていますが
クラちゃんでなければ
癒やされません。
撮りためた写真をiPadで
眺めて胸を詰まらせる
日々を送っています。
もう使う筈の無い毛布、
食器、タオル、暖房マット、
専用バリカン、など
洗えるものは洗い、
奇麗に拭いて箱詰めして
整理しています。
49日を終えて
忌明けすると処分します。
2020_08_19-2
思い出の詰まった品々に
心が痛むばかりです。
クラちゃんが死ぬ日のこと、
私が12時に起きた時は
すやすやと眠っていました。
それが2時に起きると
激しい痙攣と荒い吐息で
意識がありませんでした。
見守ること1時間40分でした。
その後ご臨終までの間、
私も家族も短時間ですが
その場を離れて
床に就いたのです。
なぜずっとそばに居て
やれなかったのか?
そのことが後悔となって
心に残っています。
その場に居続けて
やれなかったことの理由が
ふたつあります。
ひとつは、
激しい痙攣と苦しみを
目の前にして見るに忍びない
という気持ちがありました。
ふたつ目は
娘の仕事のことでした。
翌日の仕事に堪こたえると
思うと無理はいけない、
だけど
私が床に就かなければ
娘も女房も
床に就かないだろうと、
そう思ったのです。
しかし、
クラちゃんが亡くなって
翌日になると娘が
私に言いました。
クラちゃんの傍にずっと
居続けてやれなかったことが
心残りだと、。。
思いは同じだったのです。
しかし、
4時30分に目覚ましの音で
起きてご臨終までの15分間は
傍に居ることが
出来たことは救いでした。
2020_08_19-3
昨日はクラちゃん専用の
お線香立てとお線香を
買って来ました。
りんを叩くとチーンと
甲高い音が共鳴します。
お線香を立て黙とうを
捧げて礼拝します。
9月27日の忌明けまで
手厚くまつってあげます。

2020_08_16-1
愛犬クラちゃんが18歳に
なる直前に他界しました。
痙攣が2時間半以上続き、
苦しさにもがいた壮絶な
最期さいごが可哀想でなりません。
クラちゃんは私たち家族と
強いきずなで結ばれていました。
過去の記憶たどれば
クラちゃんに対しては
感謝のみでございます。
その思い出をいつまでも
記憶の中に閉じ込めて
おきたくてブログに
書き留めました。
是非読んでください。
2020_08_16-9
クラちゃんがってしまった。
17歳11か月10日の生涯だった。
9月4日に18歳になる筈だった。
別れは必ず来ると覚悟していたが
唐突に無慈悲にそのときが来た。
2020_08_16-10
死ぬ前日まではいつもと
変わらない生活だった。
ただ、最近は下痢と固い
ウンコが交互だったり、
排尿の時間間隔が
長くなる傾向があった。
3月頃と比べると動作も
衰え、更に
老齢化が進んだことを
ビデオを見て知っていた。
老齢化が進むと外見以外に
尿量の減少、下痢など
内臓の体調変化があるのは
人も犬もまたしかりである。
尿の出が悪くなると
尿毒症で死に至ることも
知っていたのだが
昨年11月初めから
スプーンで食べる生活が
ずっと続いていたので
介護慣れのせいか
クラちゃんが生死の
境界で頑張って
いることを知らず、
死ぬのは
まだまだ先のことだと
油断していた。
苦しんで死んだのは私の
油断が原因だったと思う。
生死の境界の淵で
懸命にクラちゃんが
命をつないでいたことを
知らなかった私は
クラちゃんに対して
大変申し訳ないことを
してしまった。
2020_08_16-11jpg
クラちゃんの最期の日について
死ぬ前日までは8月9日の
ブログのとおりだった。
ブログの日付から次の
8月10日のことである。
午前2時の目覚ましの音で
起きるとクラちゃんは
両手足をバタバタさせて
意識不明のひどい痙攣が
起きて苦しんでいた。
口を開けハアハアと
荒々しい呼吸は
見ていられないほど
壮絶な苦しみ方だった。
頭を持ち上げたり体を
揺すって名前を呼んだが
クラちゃんの痙攣と荒い
呼吸は止まらなかった。
2020_08_16-4
あわてて妻と娘を呼んだが
私と家族はすべがなく
ただ見守ることしか
出来なかった。
肉球に手を触れると
とても熱くて高熱が
出ているのがわかった。
娘が冷蔵庫にあるだけの
保冷剤を取り出して
タオルに包んで
太ももの動脈部位や頭、
前腕の間に挟んでいた。
熱中症を疑ったが
一日中エアコンの
効いた部屋なので
熱中症ではなく
尿毒症による脳炎の
発症かと
あとになって思った。
2020_08_16-2
壮絶な痙攣と荒い呼吸は
午前2時から
ご臨終まで続いた。
午前3時40分になると
私たちは一旦、床にいた
午前4時30分に
再び目覚まし時計の
アラームで起きると
クラちゃんの痙攣と荒い
呼吸はまだ続いていた。
それがかえって心を痛めた。
早く楽にさせてやってと
神に祈る気持ちだった。
2020_08_16-12
娘も気になって起きて来た。
10分ほど容体をうかがったあと、
娘に
「明日は仕事があるから
もう寝なさい」と促した。
娘が二階に上がって1分も
経たないうちに最期さいごが来た。
頭をグイッと反らしたあと
続いて後足を思いっきり
後方に伸ばし、
数秒も経ないうちに
横隔膜の動きが止まった。
呼吸が停止したのだった。
ほぼ同時に心臓も停止した。
午前4時45分のご臨終だった。
二階に上がった娘を慌てて
呼び戻し、女房も呼んだ。
クラちゃんは私たちが
4時30分に起きて来るのを
ずっと苦しみを耐えて
待っていたのだと思う。
そばに居続けてやれなかった
薄情な自分を責めた。
クラちゃんには謝っても
謝り切れないものがある。
しかし、
いくら自分を責めても
クラちゃんにもう届かない。
「クラちゃん、父ちゃんは
薄情者だった」、
「ゴメンゴメン」と
心の中でそう謝った。
息絶えた寝顔を見て
これで楽になって
くれたのではとむし
安堵する気持ちもあった。
2時間45分以上の痙攣は
想像を絶する
苦しみだっただろう。
私は看取みとりの中で首を
絞めて早く楽にして
やりたいとも
思ったがそれは到底
出来ることではなかった。
娘が泣いて、眼を腫らし
涙声を絞り出す
重苦しい朝を迎えた。
2020_08_16-8
クラちゃんの遺体のそば
朝食を済ませた後、
タオルを絞って
遺体の顔から頭、頸、
背中、足、お尻へと
順番に拭いてあげた。
遺体の下に敷いた
トイレシートは吐物、
排泄物で汚れ、
死にぎわの壮絶な苦しみを
如実に物語っていた。
死にぎわまでの長い苦しみが
私たち家族に焼きついて
それ故、更に深い
哀しみになっている。
〇〇〇〇〇動物病院は
夜間の救急を受付て
くれることを知っていた。
しかし、1時間以上の
距離がある中、最早運べる
状態ではないと判断した。
2020_08_16-5
遺体を段ボールに入れ、
クラちゃんが遊んだ玩具おもちゃ
ドッグフード、首輪、
リードなどと
少しのお菓子を入れた。
女房はクラちゃんが庭で
遊んだときに見慣れた
花を摘んで
遺体のまわりを飾った。
住み慣れた家を出る時に
お線香とお燈明を
とも

般若心経はんにゃしんぎょうを唱えた。
2020_08_16-6
火葬場へと進む車は
クラちゃんの思い出の
散歩コースを走り、
散歩の途中に
たたずんだ桜の木陰では
停車して永遠とわ
別れを惜しんだ。
斎場に着くとすぐに
個別葬が始まりお線香を
捧げてご冥福を祈った。
2020_08_16-7
クラちゃんがおこつになって
家に帰ったのは午後3時を
少し回った頃だった。
小さな骨壺が帰って来て
クラちゃんと家族の縁が
これからもつながり続けると
思うと安堵した気持ちに
なれるのだった。
それから幾日か経った。
わが家にクラちゃんが
居ない虚無感と喪失感
だけが残り、
霧に閉ざされた先の
見えない生活から私は
まだ解放されていない。
9月27日がクラちゃんの
49日の忌明けになる。
クラちゃんと共にした
生活は楽しかったし、
命をはぐくむことの
すべてを教えてくれた。
有り難う御座いました。
クラちゃんのことは
死ぬまで忘れないよ。
さようならクラちゃん、
ご冥福を祈っています。
追記
本日はクラちゃんの
初七日しょなぬかでございます。

本日、8月10日
午前4時45分、
クラちゃんは
永遠の旅に出ました。
残された家族一同は
哀しみに暮れています。

8月9日、日曜日、
外は灼熱の太陽が
照りつける真夏日、
今日は米軍が長崎に
原爆を投下した日である。
原爆をテーマにした
アニメ映画「はだしのゲン」
を見たのは
随分昔のことだった。
その頃、クラちゃんは
わが家の家族
だっただろうか。 
随分と記憶も曖昧になった。
何しろ遠い昔の記憶である。
2020_08_09
クラちゃんはあと一か月で
18歳の誕生日を迎える。
だがそれが怪しくなって来た。
というのは老衰が顕著で
排便、排尿、嘔吐の悪化、
多臓器不全の症状が
顕著になったからである。
犬の18歳は人間の歳に
換算すれば100歳を
越えることになる。
クラちゃんの持って生まれた
生命力に感心してしまう。
2020_08_09-2
クラちゃんをわが家の
家族に迎えて以来、
その記憶を辿れば
楽しかった思い出が
たくさん甦えってくる。
 ただ、例外が一つあった。
北海道へ4泊5日の旅に
出た時のことである。
楽しい筈の二人旅だったが
苦渋に満ちた 旅になった。
それは私たち夫婦が留守中、
クラちゃんをペットホテルに
預けたことが心残りになり
心配の道中だったからである。
犬は飼われた家族以外に
なかなか気を許さない。
わが家を離れて見知らぬ
環境と見知らぬ人に
お世話されてクラちゃんは
来る日も来る日も不安な
毎日だろうことを思うと
可哀想で旅どころの話では
なかったのだった。
移動中のバスの車窓から
眺める景色にクラちゃんが
ダブって見えてしまった。
以来クラちゃんをひとりに
させては可哀想だと
泊まりがけの二人旅を
したことはなかった。
2020_08_09-3
わが子のように可愛が
っていたクラちゃんに
天寿が来たのだろうか、
ここ数日容体が悪くなって
悶々として私は感情を
抑えきれない日々が
づいている。
クラちゃんが日ごとに
衰弱していくのが
見ていて分かるから辛い。
特に食餌の食べ口が
悪い時やオシッコが
出ない時などは心配である。
2020_08_09-4
一週間ほど前から1日に
与える食餌量は 120gから
80gに減り、朝夕2回に
分けた食餌が3回に増えた。
理由は内臓負担軽減である。
自分で飲んでいた水は
今、自力で飲めないので
注射器を使って飲ませる。
排尿と排便は粗相して
ベッドを汚す場合があるので
ベッドにトイレシートを敷き、
体が汚れたら二人がかりで
シャワーで洗い流す。
そしてドライヤー乾燥など
犬の介護がこんなに
大変だなんて
想像だにしていなかった。
2020_08_09-5
昨日はベッドで寝た切り、
起き上がることもなく、
排尿もウンチもなかった。
あげくに食餌の後に
嘔吐をしてしまった。
そんな状態の昨夜は
排尿がなかったのでいつも使う
トイレシートでは排尿を
するだろうかと連れて行った。
なんと自力で立った。
そしてトイレシートの上を
グルグル回るのですごく
頑張ってくれている様子に
私は感動してしまった。
残念ながらそれでも
排尿は出来なかった。
諦めてベッドに戻した。
それから数時間後の夜中、
沢山の排尿をしたらしく
私が気がつく前に娘が
手当てしてくれていた。
一家総出の介護である。

2020_02_26-5

いくら介護を続けたとしても
元気なクラちゃんに
戻ることはもうないし、
再びケージに入って夜を
過ごすことはないだろう。
私の年齢を思うと
犬はもう飼えない。
集落の人口構成は
高齢化して犬を新規に飼う
おうちもなくなった。
ケージ、食餌容器、レインコート、
防寒服、ペットヒーターなど
たくさん残ってしまうが
お古など使ってくれる人は
ないので勿体無いけど
処分しなければならない。
綺麗に洗えば犬猫の
保護施設で使って
いただけるかも知れない。
捨て犬の富蔵くんを
引き取ってくれた
NPO法人に相談してみるか。
そう遠くない日に悲しい別れが
必ず来ることを覚悟している。
 

2020_08_05-1
昨年10月31日、クラちゃんが
突然体調を崩した。
いよいよ来るべき時が来た、
そのように別れの覚悟を
決めたことがあった。
だが奇跡的に回復してなんとか
食餌も介護を受けながら
食べられるようになった。
秋口にさしかかる頃だった。
就寝はケージの中で
寝るのが常だったが真夜中に
ワンとひと声あげては
またワンと泣くようになった。
弱々しく悲しそうな声だった。
それから就寝はケージの外の
特設ベッドで寝るようなった。
2020_08_05-2
そして初冬を迎える頃になると
山あいの冷え込みが厳しくなり
寒さが体に堪えるだろうと
初めて毛糸のジャケットを着せた。
散歩の距離も50mほどに減った。
歩く姿は足元がふらつき起伏が
あるとすぐに後ろ足から崩れた。
ドタッと音を立てて横倒しに
倒れることもあるほど衰えた。
2020_08_05-3
それから10か月ほどが経った。
今もスプーンで食事をしている。
水は桶まで自力で歩きペロペロと
舌で水を巻くようにして飲んだ。
散歩は辛くなるとお座りをして
迎えに行くまで頑固に動かなかった、
そんなクラちゃんが不憫で抱っこを
しなければならない気持ちにさせる。
2020_08_05-4
今年の三月ごろと今を動画で
比較すると歩き方が一段も
二段も衰えているのが判る。
そして7月22日、月に一度の
検診に動物病院へ連れて行った。
主治医の先生が血液検査の
結果を示しながら「肝臓、腎臓、
膵臓の機能が限界に近づいている」
「もう終焉が近い、自然に死なせて
あげてください」と仰った。
「自然に死なせて」と言う意味が
無理に食べさせたりせずに
自力で食べなくなったら諦めて
と言う意味に聞こえるのだった。
血圧の薬は1/2錠が3/4錠に増えた。
だが薬の副作用なのか数日後から
下痢が始まったので私の判断で
1/2錠に戻したら娘と喧嘩になった。
そして容体が明らかに悪くなったが
娘は私の判断を相容れないので
薬を主治医の処方通りに戻した。
最近の散歩は降り続いた雨の影響も
あるが7月25日が最後である。
そのせいか排尿の時に後ろ足が
崩れ、お尻が濡れることもある。
あと1か月で18歳の誕生日になる。
娘が「クラちゃんに声をかけた。
「高校は卒業できなくなるのかな?」
そうだな、孫だったら高校生に
なっている歳なんだと私も思った。
兄が5か月ぶりに来てくれた。
私は挨拶もそこそこに「
クラちゃんがいよいよ最期なのか
寝たきりの介護生活に
なっていることを伝えると
兄は「生き物みんな
限りある命だから仕方が
ないのかな」と言った。
そんな暢気な受け答えに
血を分けた兄弟でも
飼い主の切ない気持ちは
伝わらないのかなと思った。
今日も寝たままで体を
触っても反応が鈍く
意識も混とんとしている。
そんなクラちゃんを見ると
可哀想で「辛かったら
もう頑張らなくてもいいよ」
と声を掛けたくなるほど
複雑な心境である。
もうクラちゃんは十分に
がんばってくれた。
火葬ではお骨を拾って
庭の片隅にお墓を作って
手厚く葬ってやりたい。
クラちゃんは私の人生の中で
犬が素晴らしい人間の
パートナーであることを
教えてくれたし、私に穏やかな
気持ちを与え続けてくれた。
それを思うと
「生あるものは必ず滅す」
この言葉の現実を深く感じる。
2020_08_05-5
一昨年の三月は
捨て犬との出会いがあった。
5月の連休までわが家の庭に
棲みついた犬に富蔵と言う
名前をつけた。
保健所に捕まらないように
保護をし、そしてNPO法人に
預けて里親を探してもらった。
その富蔵君は今も私の
脳裏に焼きついて
忘れられない存在になっている。
パソコンの壁紙に
その写真を載せているので
けっして忘れることはない。
富蔵君も可愛い犬だった。
今でも飼えなかったことが
後悔の念になって脳裏に残る。
2020_08_05-6
でも里親探しが始まって
数か月後に里親が見つかった。
結果として大変良かった。
里親さんが富蔵君の写真を
添えて礼状を送って来られた。
室内犬として飼われているので
私が飼うより数段良かったと
安堵しているところである。
私も高齢になりクラちゃんの
あとに犬を飼うことは出来ない。
また、犬の老後は人間と同じく
介護が必要なことも知った。
それは手がかかるし容易ではない。
可愛さだけで犬を飼う人が居たら、
老後の介護の覚悟までしっかり
考えて飼ってほしいと願ってやまない。
追記
本来、里親さんに私がお礼を
申し上げるべきところです。
ところが、
私が捨て犬の命を保護したから
富蔵君(犬)との出会いがあった、
ということで
お礼のお手紙を下さいました。
NPO法人から私の住所を
ご紹介いただきまして律儀に
お手紙を頂いたという訳です。
本来は私から逆にお礼を
申し上げるべきですが、
返信のお手紙に私の気持ちを
つけさせていただきました。

2020_07_04-1
今日の午前中は曇り空だった。
そんな中でクラちゃんの
朝の散歩はなんとか出来た。
午後は雨が降りだして
段々と雨足が速くなった。
何もすることが無いので
クラちゃんが冬の寒さの中を
散歩するビデオを見ていた。
歩き方が一段と衰えて
僅か数か月の中でクラちゃんの
老化が進んでいることを知った。
2020_07_04-2
9月4日が来れば18歳になる。
人間の歳に換算すれば
100歳は超えているだろう。
食餌と散歩が終われば
ベッドでほとんど寝て暮らす。
いわば寝たきりと変わらない。
食餌はスプーンで食べさせて
貰うことが8か月続いている。
そうでもしなければ
きっと死んでいることだろう。
散歩中も後ろ足が崩れるように
なってへこたれてしまう。
そんな時はお腹に手を当てて
起こしてやらなければ立てない。
2020_07_04-3
人間だったらもう4次元の
世界に変わりたいと思うだろう。
そんなことを思うと薬を飲ませ、
半ば食事を強制的に
摂らせることが酷なのでは?
そんなことを思うこの頃である。
2020_07_04-4
ネットニュースで今日は
コロナ禍で失業した女性が
住むところを追われ、
所持金も使い果たして
犬と一緒に飲まず食わずの
生活を余儀なくされている
ことを知ってショックだった。
あるときは野宿もして
いるというその日暮らしで
ペットの犬も女性も何も
食べていないという。
役所に生活保護の申請に
行ったら申請の前に犬を
処分するように言われたという。
自分の家族と思って一緒に
過ごしてきた犬に対して
そんなことは出来ない。
役所の言うことは
動物愛護に反している。
犬と過ごしていると何故、
生活保護を認定されないのか?
職を失えば誰でもこんな
ことはあり得る世の中、
人ごとではない。
2020_07_04-5
そんな女性がいることを
ある女性作家が知って
取り敢えずの生活費と
ペットのドッグフードを
与えたとのことだった。
私はひどく胸を打たれた。
でも私の力では何も出来ない。
コロナ禍の中で似た事情を
抱える人は世にも
沢山いることだろう。
政治はそんな社会事情にも
目を向けて考えてほしい。
「緊張感をもって感染状況を
注視していきたい」などと
政治家はコメントしているが
具体的には何もしていない。
精神論を言っているだけで
医療従事者や専門家、知事に
丸投げの状態であるように思う。
本当に困っている人は
コロナ禍で失業をしたり、
住む家を追われたり、
お客様相手のお店関係である。
そんな人たちを救うのに
経済を立て直すことは
重要だけど脆弱な社会で
生きている人たちに
取り敢えず今日明日が
しのげるような手立てが
出来る政治であってほしい。

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